
カンパニー・プロフィール
1911年、エルコレ・モレッティ社はモレッテイ3兄弟により設立、現在は創業者の孫が引き継いでいます。
創業時はムリーナ工法である“ロゼッタ”(ミニバラ)とモザイク “ミッレフィオーリ“(千の花)という、2つの古典的ベネチアンガラス・ビーズ製作を掲げ、その後長い年月をかけ製品の範囲を拡げました。今でもムリーナ工法はモレッティの大黒柱であり、創業直後からとりかかった”千の花”ビーズも健在です。安定した品質、個性光る作品はモレッティならです。
70年代初期、モレッティはムリーナペンダントを発売しました。そのアイデアは当時業界内で革命的な大旋風を起こしました。あまりの大ヒットに、これは永続的に残される定番ものとなるだろうとささやかれたものです。
続いてモレッティはそれまでなかった異業種にも乗り出します。それはプレートとオーナメント。オブジェの世界です。洗練されたオブジェは、ローマン・ガラス工法を復活させ作られ、特に高評価をいただいております。

市場
市場はみんなを結びつけます。価値を交換し、それぞれが得意分野を提供し合います。価値、嗜好、喜びを交わしながら、専門分野が決まっていきます。
ベネツィアと塩
“黄金に興味のない者はいる(・・・)しかし旨味を引き出す塩をほしくないと言う者はいない”
~カッシオドロ537年


ベネツィアと3つの商時代
この1500年間、ベネツィアは三つの時代を経て、高級品、高付加価値製品を提供してきました。
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6~10世紀:塩と魚の交易
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11~15世紀:香辛料の交易
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16世紀 :知識の商業化
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“知識の商業化は(・・)産業革命を起こした”
~ピーター・アクロイド
高級品市場で、今、何が起きているか
同じビジネスモデルを選んだ人物として、スティブ・ジョブスがいます。ジョブスは世界にとって、より効率的かつ有益な企業を作りました。そして製品価格を下げず、上げることによってライバル会社に勝ったのです。


エルコレ・モレッティのプロジェクト
もはや一世紀以上前になりますが、我が社は「憧れの作品を、オブジェを」との熱意で生まれました。我が社の基になるムラノ島。ここで活力を得、美と創作力と経験を価値あるオブジェにして、皆さまに贈ります。私たちの作品は女性を喜ばせ、素敵な空間を演出します。
憧れと美しさが満ち溢れる場で真摯に前進していくのは、私たちにとってただただ自然なことです。
“千の花”技法 ムリーニはどのようにして生まれたか。
“ムリーノ”という言葉は1878年ヴィンツェンツォ・ザネッティ神父が広めました。
ザネッティ神父は壺や小鉢を丈夫に作るために、ローマ時代のモザイクガラス技法を採り入れました。抽象デザインや人の顔などといった具象デザインを、金太郎飴のようにガラスシリンダーを組み合わせる工法です。
すでに紀元前1世紀、ローマ人は独特な壺を作っていました。それは明るい色やコントラストのある色味の石を、小さく砕きモザイク仕様にしたものです。石はすぐにガラスに代わりました。
そして19世紀に壺(容器)作りのために工法が復活します。ヴィンツェンツォ・ザネッティ神父は、1500年もの間忘れられていたこの技法に光を当てたのです。
ムリーナガラス加工の基盤は、“ムリーネ”(ムリーナ、の複数称)です。
ムリーネとは特徴ある小花デザインがぴったりと寄せ集まり、小さいエレメントの円筒状になっているものです。
まず、鉄の棒を使って窯から溶けたガラスの一定量分を引き出します。そして別の色のガラスが入っている坩堝に浸します。このようにして次の層を作っていきます。溶塊ガラスは、ある段階で花・星・ハートなどの形をした縦型の金型の中に注がれます。こうした技法で花・星・ハートのデザインのムリーナが出来上がります。
内部にデザインパターンを含んだそのガラス塊は、冷却され長い管の形状にします。プレスするために細くするのです。こうして何層にもなった色付きガラスを細い棒状にします。一回冷却された管は、小片にカットされます。それらを互いに寄せ集めて組み合わせ形成され、“ムリーネ”と名付けられます。